オーナーの山歴書(若き日の足跡)

山のふところに抱かれて
心に咲いた花
アルプスの日記
ミルク色の下山路

 

ミルク色の下山路

春山の恐怖  昭和48年山と渓谷 読者応募

通い慣れたはずの尾根であるはずであったが、3月の山とは思えないほど気違いのように荒れ放題の今日の山は、何もかも目新しく、巨大な雪庇や胸から首までも没するドカ雪や、どこまでも続くミルク色の世界は、生への可能性を奪おうとしてぼくと対抗し続ける。
展望が良ければどんなラッセルも苦にならないのに、今自分達が下りているのがどこかもはっきりわからないだけでなく、自分を疑ってさえいるのだ。肩ノ小屋を出発したのが午前7時だったから4時間が去った頃だった。トップを行っていたぼくは恐ろしく急激に落ち込む雪稜に不安を感じた。
その不安はルートそのものではなくもう終極のことばかりであった。
もう既に予定より1日延長している。
家族も仲間も会社の人達も・・・皆心配しているだろうと思うと絶対下りたかった。
だがこのまま下れば二度と人間の住んでいる世界へは帰れないのだと過去の経験が教えてくれた。
ぼくは、ぼくのパートナーと友人2人に小屋に戻って晴天を待って下ることを主張した。
みんなも同意し、既に消えかかっているラッセルの跡をゆっくりと登り返したのであった。
…   …   …   …   …
 
ぼくたち2人はおとといの朝、ブルーの空や氷雪の岸壁をバックに烏帽子奥壁の登攀を開始したのだが、天候変化の著しい上越の山は早くも夕刻には荒れ始めたのであった。
奥壁テラスでのビバーク、塵雪崩に埋められ眠ることもできないが、いつものように喜びを感じていられる。
仲間もいい奴だし、肉体的にも精神的にも不安はないからである。
ビバークサイトから3ピッチ目、夏であれば最後であるこのかぶり気味の岩は、ぼくのかけがえのないパートナーを死に追いやった場所であった。
4年前の夏、墜落を支えるはずのザイルはもろくも切断され、数百メートル落下した彼は、揺り動かそうが、怒鳴ろうが2度と話かけてくれなかった。
その翌年のヨーロッパ・アルプス行を約束していた彼、出発も決定したのに・・・もうぼくの前から離れて行ってしまった。。
アルプスの山に、ぼくは彼の写真をザックにしのばせて、ビバークの眠れない夜に頂上について語りかけ一緒に過ごしたのだった。
だが不幸にもぼくの足は凍傷になり、切断されてしまった。
ぎこちない最初の1年は、実に辛く苦しいものであった。
でも、ぼくにはひとつの目標があった。
冬の烏帽子奥壁であった。
死んだ彼を検死した石川先生はこう言っていた。
「奥壁をお前たち後輩が登って、小河登ったぞ! と言ってやるのだ」
夏は何度か登った。
けれど冬にどうしても登りたかったのだ。彼の触れた最後の岩、トップのぼくは登攀の厳しさも忘れ、彼と過ごした日々を思い浮かべながら攀じていた。
間もなく夏の終了点に出たが終わったという気になれず、〝登ったぞ〟とは言えなかった。
ミゾレ混じりの吹雪きで全身びっしょりどころか、高所靴の内に身体から伝わった水滴が入り込んで行った。
これから稜線を渡る烈風にあおられれば、再び凍傷になる可能性が多く暗い気持ちにならざるを得なかった。国境稜線の越後側をからみながら肩へ向かうが、気が付くと雪庇の上だったりして楽観は許されなかったが、どうやら勘をたよりに肩ノ小屋に辿りついた。
今からなら暗くなるまでに下れるはずであるから、ぼくたちはすぐ出発した。
西黒尾根の分岐点が見つかるか否かを考えながら歩き出して間もなくだった。
先頭を行くパートナーは通り過ぎたが、ぼくは右側の盛りあがった雪のふくらみがどうも岩や風のいたずらによるものではないと思い、立ち止まってピッケルで雪をどかしてみた。
やはりそうであった。
もう温かみのない人間だったのである。
名も確認できず、ただ握りしめていたストックを立てて下山の途についた。
だが、視界の乏しい吹雪きの夕暮れがぼくたちを追い返そうとし、ぼくたちは諦め明日を待つことにして引き返すことになった。
屍はもとの雪のふくらみとなりストックが主人の帰りを待ちわびるように揺れている。
小屋には後続の2人が到着したところだった。
彼らとはザイルを結んだこともある仲間で、今宵は4人で過ごす事になった。
だが全身はびっしょり。
濡れた靴下を脱ぎ、もんだりこすったりするぼくの足。
寒さのために眠れない。
でも、ぼくたちは生きているのだ。
わずか離れた雪の中には、帰れない、人間の住む世界に帰ることのできない人間がいるのだ。
ぼくは明日をずっと考えている。
小屋の隙間から吹き込んでくる雪と風の音はぼくの心を暗くさせ、死ばかりが浮かび上がって来る。
時々メタでお湯を沸かすだけで長い長い夜であった。夜明けは時計が教えてくれた。
しかし展望は無に等しかった。
心だけは明るくさせようと思うが、西黒尾根の下降路が不気味なままにめぐり、頭の中で回転する。
精神的なもののためにザイルを結び合った2つのパーティはゆっくりと下り始めた。
もう雪原にはストックだけがエビのシッポをつけて立っているだけであった。
西黒尾根・・・どこがどうだか皆目見当がつかない。
4人とも、夏冬合わせて何十回と通っている所なのだが、勘、ただそれだけだった。
しかし、しばらく下ったものの不安を感じ、登り返すことにし15分も登っただろうか、先頭が止まった。
みんな呼吸が荒かった。
吹雪きがそうさせているのだ。
「ここはきっと西黒尾根だよ、このまま下りて行けばなんとかなるよ」 というのが3人の意見だった。
ぼくも同じ意見だったが、ぼくは4人のうち最年長だったから下る前に〝安全〟を考えていたのだ。
しかし、小屋にもどるか、このまま下るか、どちらが安全かは判断に苦しむ。
燃料も食料も乏しいのだから。
もう最年長もリーダーもない。
そこには4人の人間が生きるために力を合わせているのだった。急な雪稜は違うので左の尾根らしくない斜面を下ってみた。
どうやらいいらしい。
3人を呼び、胸ときには首までのラッセルを続ける。
午後2時頃だったか雪庇の続く稜線に棒が突き出ていた。
掘ってみると、それはまぎれもない道標だった。
目を見合わせて喜ぶ4人は感激のあまり声も出なかった。森林帯を下り始めてから右に寄り過ぎ西黒沢に出てしまったが、夕刻、登山センターの扉を押すことができた。
そして、センターの人たちが「よく下りてきたな、手や足はなんともないか」と言い、熱い飲み物を運んでくれるとき、ぼくの目には涙がたまり、肩の屍のことを話すのが辛かった。
山は美しい。
けれど厳しく悲しい。
靴下と足と凍りついたぼくの足は青黒くなっている。
ぼくはフレネイの敗退を思い浮かべて、ボナッティやマゾーはどんな悲しみに陥ったのだろうかと考えながら、お湯につけた爪のない短い指をじっと見つめていた。