オーナーの山歴書(若き日の足跡)

山のふところに抱かれて
心に咲いた花
アルプスの日記
ミルク色の下山路
愛する緑の大地

 

心に咲いた花

昭和44年 山と渓谷から

ある1月下旬のこと、僕は穂高屏風岩東稜の垂直の中のやっと座れる狭いバンドで、空間に足を投げ出して風雪の音を聞き入っていた。
隣には誰もいない。
でも単独登攀ではなかった。
友は40m上の小さなテラスに腰を下ろし、風雪から身を守るツェルトも無く、でも弱音も吐かず元気に歌っていた。翌日の夕方に、横尾の冬季小屋に帰った僕たちはストーブにあたっていたが、静けさを破って友がポツリと話始めた。
「俺、ビバークしてて野口ちゃんのことずっと思っていたんだ。だってこの間兄さんが山で死んだばかりなのに、野口ちゃんにもしもの事があったら、お袋さんになんていって良いかわからないもの。でももう安心だ・・・」友は小さなテラスで風雪を全身に浴びて煙草も吸えずに、ただ夜明けを待ち望んでいただけでなく、自分より好条件の僕を思い続けていたのだった。
そうだ! 衝立岩左フェースの時は墜落し傷ついた僕を励まし、かばって登ってくれたし、穂高で、剣で、谷川で、友との山行はすべて充実したものばかりだった。

何故なら、友が僕に教えてくれたものは、岩登り技術でも、山の美しさでもなく、それは、何より美しい情愛だったからだ。
自分が辛く、苦しい時は友も同等に辛く苦しい立場にいるだろうから、自分よりも友への情愛を重んじる。
自分を忘れ、友を愛し、心の通い合う友と一緒に登る時、コースの難易にかかわらず最高に楽しい悦びの休日となるだろう。
充実した休日の後に来るものは、明るい社会生活と、明るい未来と・・・そして平和。
それなのに穂高から帰って半年後、烏帽子奥壁は心の優しい友を無残にも叩き落としたのだった。

しかし、最愛の友を失った僕だったけれど、友と僕との間に咲いた純粋で美しい情愛は、僕の生命の続く限り枯れる事なく咲き続けることだろう。

(東京北稜山岳会会員)